「地頭がいいはビジネスで活きるのか」への一義的解答
こんにちは。
yooです。
営業マン時代に学歴のある「売れない人」をたくさん見た。
どうすれば
「学歴があるのに、、、」
「頭はいいのに、、、」
「経験があるのに、、、」
「才能があるのに、、、」
「努力をするのに、、、」
「頑張ってるのに、、、」
がビジネスの場でなくなるのかを考えて、
「地頭をよくする」=「学び続ける人が強い」という結論に至った話。
■地頭=学歴ではない
新卒で入った一部上場の不動産会社時代、一部上場の大手証券会社には学歴が良いと言われる人がたくさんいた。
その中で、
「学歴がいい=仕事ができる」
「頭がいい=仕事ができる」
という方程式が成り立たないことがよくあった。
なぜなのか?
不思議でしょうがなかった。
もっと言えば、
「努力する=仕事ができる」
「頑張る=仕事ができる」
という方程式が成り立たないこともある。
その時は、世の中そんなもんだろうくらいにしか思っていなかった。
しかし、いま「そんなもんだろう」の正体を突き止めずにはいられない事情がある。
「そんなもの」にやられてしまう人がいるからだ。
原因もわからない奇妙な定義への解答を判明させて、一人でも多くの人の心を取り戻すことができれば本望だ。
■地頭の正体とは
地頭の定義を確認すると、
とある。
「頭がいい」「学歴がある」という意味で使われていないことが分かる。
辞書の定義を使わせていただくならば、
「地頭がいい」とは
・論理的思考力
・コミュニケーション能力
という事になる。
「論理的思考力」はイメージが付きやすいかもしれない。(細かい多義性は一旦置いておく)
一方で、「コミュニケーション能力」とは何だろう。
人によってかなり定義が曖昧になっているのではないだろうか。
私見になるが、
コミュニケーションは意思疎通のことであり、異なる個人同士が定義を持ちやすいことが曖昧な解釈を招く理由になっていると思われる。
ビジネスにおけるコミュニケーションは変化を続けるものだ。
言葉にすると陳腐だが、現実としては深い。
「ビジネスにおけるコミュニケーションという観念的なもの」を、「数学の関数のように捉える事」はそれほど簡単ではないと思うからだ。
その簡単ではないことが「地頭をよくする」ことで解決できる。
つまり「地頭がいい」とは、
「人間関係という相関関係が激しく移動を繰り返すゲーム=コミュニケーションという定義が変化する曖昧なもの」について「論理的な解決を導く手段」になり得る。
■メタ視点を持てば地頭が覚醒する
時代は変化を続けている。
それは避けることができない事実。
学校が教えてくれるもの。
会社が教えてくれるもの。
社会が教えてくれるもの。
それがいつまでも通用するとは限らない。
はたしてこのままでいいだろうか。
なぜこの状況が起き得ているのか。
そんな時は視点を変えてみる。
メタ視点が役に立つ。
(メタとは高次の、超越したという意味の言葉)
このメタ視点を持つ能力こそ
・なぜ変化するのかを論理的に考える力=論理的思考力
・変化をしている理由を着眼する感性、直感=コミュニケーション能力
になる。
「考える力」と「直感を働かすコミュニケーション能力」を覚醒させる=地頭がいいという定義。
学歴のよしあしは「地頭」には関係がない。
変化する現実から学び続ける人こそ本当に頭のいい人だ。
現実や人間関係の中で変化を直視する心の強さを持つ。なぜなのか論理的に解を持つ。それが「地頭がいい」という話。