「AI」と「人間」のちがいを一言で言えますか?
こんにちは。
yooです。
2021年に入ってから今まで約50冊ほどの本を読んできました。
ついに今年1番になるであろう本と出会ってしまった。
(これがあるから読書はやめられない笑)
内容は自分がここ数年考えてきたテーマを端的に、論理的に、網羅的に、そして面白くまとめてある本です。
簡単に言えば、「AIと人間のちがいが分かる内容」といいましょうか。そんな内容でした。
大黒達也さんの著作。意外にも処女作だそうです。
経歴も芸術性と学術性を兼ね備えた天才というイメージでした。
[目次]
- ビジネスと創造性の融合
- 学業秀才と学業劣等
- 時代の求めている教育
- 終わりに
1、ビジネスと創造性の融合
ここ数年考えていたテーマとは「ビジネスと創造性の融合」です。
何を隠そう、私は元バンドマンであり音楽を挫折した身です。
音楽をやめた後に、ビジネスマンとして営業職で年収1000万を実現したという背景があります。何がなんでもビジネスの世界で成功してやるという気概がありました。
ビジネスマンとして仕事する中で、評価される人材には一定の共通点があることが分かりました。
それは「組織内の価値観に自分の考え(個人の創造性)を犠牲にして合わせる人材」でした。(たしかに基礎を習得する上で、修練は必要です。しかし、基礎を得て実力を得た人が創造的な仕事をしていないことが社会に閉塞感を生んでいます。)
「個人の考え」や「個人の創造性」の犠牲が「仕事における苦の側面」ではないかとも思っています。(仕事はそんなものだろうという批判が聞こえてきそうですが、、)
しかし、時代は「SDGS」「ダイバーシティ:多様性」がテーマになっています。
「仕事における負の側面」が表立った結果の反動だと思います。
多様性とは、個人の創造性に他ならないのではないでしょうか。
そんな正と負の側面を考慮に入れた上で、私はビジネスと創造性を融合した仕事を創出する。これが私のテーマです。
2、学業秀才と学業劣等〜頭がいいとは何を指すのか?〜
個人の創造性を軽視するのは、文化的な背景があります。
それは日本の教育における背景です。
日本の教育は、「答えや正解を覚えて正解を出すという教育」が根幹になっています。つまり、答えと正解が用意される前提になっている。日本でいう頭のいい人とは答えを出す力を鍛えた人のことだと推測します。
「答えを出す力」は必要ですが、人の持つ知能の一部分しか使っていません。
むしろ時代は「答えを作る力」を求めていると思っています。
心理学者のギルフォードという方が人の知能を多次元的に表しています。
大まかに分類すると、人の知能は「収束的知能」と「拡散的知能」に分かれます。
「収束的知能」=答えと正解を導き出す力・論理的思考・アルゴリズム・唯一の正解がある・学業秀才
「拡散的知能」=答えと正解をたくさん出す力・創造的思考・ヒューリステック・全てが正解になりうる
日本の教育カリキュラムは「収束的知能」を重視しており「拡散的知能」は軽視されている現状です。
教育が答えありきの考え方を優先しているので、学業でも仕事でも創造性を求めないのは当然の帰結です。
もちろん「収束的知能」の高い人は学業秀才ですし、すごい能力を持っています。
しかし、時代はその先の知能を求めていることが「SDGS」や「ダイバーシティ」を声高に叫ぶ現状から察することができるのではないでしょうか。
3、時代の求めている教育と仕事
最近聞く「AIに奪われる仕事」とは、「収束的知能を使った仕事」のことです。
「収束的知能」を使う仕事は「答えのある業務」です。答えがあるのであればコンピューターにプログラミングして機械的に行った方が効率的ですし速いでしょう。
時代は「収束的知能」を兼ねた、「拡散的知能」の高い人を求めている可能性が高いです。
GDP成長率がひと段落した先進国では、大きく成長するにはイノベーションが必要です。ここでいうイノベーションとは「拡散的知能」と言い換えることができるのではないでしょうか。
経済のファクターでイノベーションが叫ばれるのは「収束的知能→拡散的知能」に求められる能力が変化している背景があると思います。
4、終わりに
タイトルの答えを言いますと、
「AI」と「人間」のちがいは「拡散的知能の有無」です。
「拡散的知能」とは、「多様性」や「人が持つ一人一人の可能性」と言い換えてもいいかもしれません。つまりは「自分で考えて答えを作る力」です。
拡散的知能では答えはありません。答えは人それぞれ異なるでしょうし、自分で作ったものが答えになります。(わがままが全て許されるということではないですが、、)
時代は「収束的知能」と「拡散的知能」を兼ねそろえた人材を必要とするでしょうし、教育もビジネスの現場も同じくだと思っています。
一人一人の努力が「ビジネスと創造性の融合した社会」を形作る。
この仕事に意味はあるのかと思ったことがある人に知ってほしい「暗黙知という考え方」
こんにちは。
yooです。
今日は「暗黙知」について書きます。
「暗黙知」はポラニーという方が提唱した概念で、人が無意識のうちに体得しているスキルや知識を総称した言葉です。
なぜ「暗黙知」に関して書こうと思ったかというと、
日本は暗黙知大国だからです。
「日本の察する文化」や「仕事は盗むもの」という考え方に「暗黙知の要素」が詰まっています。
そのせいか日本では組織内のミスコミュニケーションが頻発していて、生産的な組織になり得ていない現状があると感じていることが今日のテーマを書く理由です。
■ほとんどの人は「組織内で善とされている文化の背景」を言語化できない
日本国内には現在316万社の法人があります。
※参照 〜第145回国税庁統計年報 令和元年度版〜
会社それぞれに文化があると仮定すると、316万通りの文化のパターンがあるということになります。
ここで皆さんに質問です。
自分の属している組織で善とされている文化(組織が大事にしている価値観のようなもの)を他の組織の方に説明してくださいと言われて説明できますか?
おそらくですが完璧に説明できるという方はそう多くないと思います。
なぜなら組織の文化には「暗黙知」が言語化できないレベルで介入しており、言葉ではどうしても説明に事欠いてしまうからです。
だから企業の就職活動では、資料だけでなく実際の雰囲気を理解するツールとして説明会やインターンがあり、面接があるのだと思います。
「暗黙知」は「言語化できないから企業の持つ特有の財産」になり得ます。
その組織の構成員にしか共有できないから暗黙知の価値があります。
■「こうしておけばいいという指示」に対して、なぜそれがいいのか理屈や原則を説明できますか?
会社でよくある光景に上司から部下への指示が伝わらないというものがあると思います。その逆も然りです。
伝わらないのは「こうしておけ」の理屈を誰も説明できないから。
(こうしておけ、は暗黙知であり本当の意味での理屈=因果関係を誰も理解しないまま組織内で空気感のように存在しているのです。)
これで伝わるのは「世渡り上手の人材だけ」でしょう。本当は部下は指示内容を理解していないが、暗黙の中で組織の文化的な正解を導きコミュニケーションを無理やり成立させているというのが実情だと思います。
つまり、「察する文化」によってコミュニケーションを行なっているということです。
だから日本ではコミュニケーションにおいて「察する人材」や「忖度する人材」が重宝されるのだと思います。
(文化におけるコンテクスト性が関連する。欧米はローコンテクスト、アジアはハイコンテクストと言われている。※コンテクスト=文脈性)
これが起こるのは以下の要因があるからと推測される。
①暗黙のうちに正しいとされる行動様式が組織内で共有されている
②組織内で成功パターンのようなものが確立されており、それを暗黙のうちに模範にしている
この2点が前提になり「組織内の善的価値観」が形成されている。
仮に、上司→部下のコミュニケーションに
上司:こうしておけ(組織内の善的価値、誰も正しく説明できないもの)
部下:はい(口では肯定しているが、なぜこれをするのか?という疑問を察するコミュニケーションによって測っている。)
という場面があったとして、
その組織内で暗黙のうちに共有されている正解を人に伝えることができなければコミュニケーションは「ふわっとした空気感を察する」しか方法がなくなります。
なぜなら「厳密に定義がない」なら「組織内で共有されている善的価値観に従う」しか円滑に物事を運ぶ方法がないからです。
何が言いたいかというと、日本では「暗黙のうちに共有された正解そのものの概念」を
ほとんどの人が説明できない現状があるということなんです。
これは組織の軋轢になり、日本社会全体にマイナスになり得る問題だと思います。
■あなたの「なんで?」に会社を成長させるヒントがある
人であればコミュニケーションは円滑にしたいと思うのが当然でしょう。
ただ現実はそんなに上手くいかない。
「なんで?」と感じる時こそ「暗黙知」を思い出してほしい。
組織におけるミスコミュニケーションは「暗黙知の伝達不足」が引き起こしている可能性があるからだ。
ミスコミュニケーションが双方の間で起こる時「なんで?」が生じる。
【ミスコミュニケーション:疑問の2パターン】
・経営側の疑問
→なんで指示に従わないのか、これが成功してきたパターンだから言っているのになぜ指示に従わないのか疑問がある。
・従業員側の疑問
→指示内容の背景が分からない。なぜその指示が問題の解決につながるのか論理的な因果関係を説明してくれない疑問がある。
【ミスコミュニケーション:解決の2パターン】
・経営側の解決法
→会社や組織が積み上げてきた知見(暗黙知)を対外的、客観的に言い換えて説明することで伝達が円滑になります。「自分たちがなぜこの指示をしているのか」を視点と視座を上げて説明することが解決になる。
・従業員側の解決法
→指示内容には必ず意味と背景があるので、なぜその指示内容なのか自分の観点ではなく組織の観点から考えてみて下さい。そこに会社が築き上げてきた知見(暗黙知)が詰まっています。
ミスコミュニケーションを感じる場面で「暗黙知」を思い出すことで組織は今よりも円滑になると思います。
あなたの組織でコミュニケーションでの疑問があれば、相手の暗黙知に対して想像力を働かせてみて下さい。
東大・京大で一番売れた本に書かれている「意外な根性論」
こんちは。
yooです。
今回はある書籍を紹介したいと思います。
東大、京大という日本の知の総本山でロングセラーになっている書籍がある。
外山滋比古さんの「思考の整理学」という本。
中身の内容が素晴らしいのは言うまでもなく、細かに解説しているメディアも多いだろうと予測し、今回は東大生や京大生が読んでいるとは想像しにくい「意外な根性論」を紹介したい。
それは、全ての人に持って欲しい「意識革命」でもある。
■全ての人に持って欲しい意識革命
東大生とか京大生が読んでる本なんだからさぞかし難しい本なんじゃないだろうか。
読み進めるとこんな文節があった。
そして、かならず、できる、よく考えれば、いずれは、きっとうまく行く。そういって自分に暗示をかけるのである。間違っても、自分はダメなのではないか、いや、ダメなのだ、などと思い込まないことである。
そういうように消極的だと、できるものさえできなくなってしまう。とにかく、できる、できる、と自分に言い聞かす必要がある。そんなこどもだましが役に立つものかと笑う人があるかもしれないが、たとえば口先だけでも、もういけない、などと言えば、本当に力が抜けてしまう。自己暗示が有効にはたらくのはそのためである。
これは巷に言う「根性論」じゃないかとすごく意外だった。
日本の知の総本山の人たちは、意外にも単純な根性論を根底に持っているのではないか、そんな仮説を抱くこともできた。
つまり、ポジティブに自己暗示をかける精神性を根底に持っていて、自己肯定感が高い。だから努力をするし、結果も出る。
僕はこれを読んで、こう思った。
全ての人がこの単純な根性論を持ち得れば、絶大な「意識革命」になり得ると。
■環境によってポジティブになっている幸運な人たち
この類の根性論には
なども有名だろう。
この類は心や意識といった科学で未解明の分野でありあまり信じない人も多い。
しかし研究者の間では、ヒトの「心」と「意識」の研究が進んでおり、量子力学の解明が「心」の分野の解明につながると考えられている説もある。
(宇宙の物質は100%の内の4%しか解明されていない。つまり残りの96%は未解明であり、それだけ科学が宇宙の解明に追いつくのには、まだまだ余地が残っているという。)
思考の整理学では、エビデンスとして「「ピグマリオン効果」を挙げている。
デジタル大辞泉「ピグマリオン効果」の解説
ピグマリオン‐こうか〔‐カウクワ〕【ピグマリオン効果】
話は逸れるが、僕は元々学校教育の劣等生だ。
母子家庭で育ち、自己肯定感は低く、ネガティブな自己暗示ばかりをかけていたように思う。
高校の夏休みにあるきっかけを得ることができ、1浪の末に偏差値を30以上あげて大学に合格した。
だからこそ思うことは、良い環境が人格を作るのだなということ。
良い環境とは、自分の可能性を信じてくれる場所のようなもの。
人は人に信じてもらえるから努力できる。
■全ての人に開かれた思考を持って欲しい
環境は自分では選べない。
もっと言えば、選べるだろうが選べるようになるには少々の時間が必要だ。
幸か不幸か。人生は自分次第で舵を切ることができる。
恵まれていない人でも、歯車が噛み合わなかった人でも、
全ての人が
自分を信じて、
人を信じて、
可能性を信じていれば道は開かれる、と信じたい。
僕は自分の可能性を信じれる社会がいい。
「意外な根性論」に少し救われた。
よく言われる「具体」と「抽象」の元は小学校の国語だった?コミュニケーションの上達へのステップに国語力を。
こんにちは。
yooです。
仕事をしている中で、「この人頭良すぎるだろ」と思ったことはありませんか?
今日は、「頭良すぎるだろ」の正体に迫ります。
■「具体」と「抽象」は小学校ですでに習っている。
コンサル領域やコンサルタント出身の方の書籍を探すと、「具体」と「抽象」に「関する書籍を見つけることができると思います。
コンサルタントの方は論理思考に優れており、この人頭良すぎるだろの部類に入るような方々ではないかと個人的に思っていますが皆さんはどうでしょうか。
具体と抽象で有名な書籍は以下。
こんな本を見ると、難しそうだし自分には関係なさそうだと思われる人もいるでしょう。
でも意外や意外!
こんな難しそうな内容を実は小学校ですでに習っているんです。
■国語で習う「言い換える力」「たどる力」
国語は、
・言い換える力
・たどる力
が重要だと言われています。
具体的に見てみましょう。
【言い換える力】
具体的に言う → 抽象的に言う
りんご → 果実
【たどる力】
抽象的に言う → 具体的に言う
甘い果実 → りんご、みかん、ぶどう
酸っぱい果実 → キウイ、グレープフルーツ、トマト
という具合です。
解説をすると、
言い換えると力とは、「具体例」を「抽象的に意味を広くする」作業です。
たどる力とは、「意味の広い抽象的な答え」を「具体的にして意味を限定する」作業です。
具体と抽象とは実はこれだけなんです。
小学校でもできそうですよね?
■具体と抽象のトレーニングはコミュニケーションに応用できる
では、コミュニケーションに応用するとどうなるでしょうか。
今回は人のコミュニケーションのパターンを
・具体例、詳細から話に入る人
・抽象的、漠然とした話から入る人
の2パターンで考えます。
人とのコミュニケーションを円滑にするには両者のパターンに「ひと手間」を加えるだけでいいです。具体的に会話形式で見てみましょう。
【具体例から入るパターン】
部下:A社の〜さんから明日までに資料をまとめるように言われていまして、実はいまA社だけでなくB社、C社を並行して受け持っていまして、B社は今週で目処がつき、C社は来週の頭にまでかかるのです。どう対応すれば良いでしょうか?
上司:つまりどういうこと?
このパターンは、話が詳細かつ具体的すぎて伝わりづらくなっているので、つまり(要約すると)どういうことと伝えると要点がまとまる。
【抽象例から入るパターン】
部下:来週までの仕事がパンク寸前です。どうすればいいでしょうか?
上司:たとえばどういう内容?
このパターンは、話が漠然かつ抽象的でわからないので、たとえば(具体的にいうと)どういうことと伝えると要点がまとまる。
つまり
具体的事例には→つまりどういうこと?
漠然とした内容には→たとえばどういうこと?
でコミュニケーションが円滑になる。
少し大袈裟な例を出したが、注意してコミュニケーションの場面を見てみると、
「言い換える」
「たどる」
がコミュニケーションとして有効だと感じる場面は多いはずだ。
■相手の言いたい本質を掴む=国語力
具体と抽象は簡単にトレーニングできます。
ぜひ、何気ない場面でトライをして、コミュニケーションを円滑にする術を実感して欲しいと思います。
最後にエビデンスとして文献のリンクを載せておきます。
マネジメントの手助けになる「スキルの熟達化」を学ぶ
こんにちは。
yooです。
突然だが、働く人にとって「マネジメントの関心」は様々なレイヤー(上司視点、部下視点)にとっても切っても切り離せない関係にあると思う。
グーグルで「マネジメント」を検索すると「約179、000、000件」の記事が存在する。
では「マネジメント」に困難さを感じているのはどれくらいの割合だろうか。
「マネジメント 難しい」というキーワードで検索すると「約172、000、000件」の反応がある。
1億7千9百万に対して1億7千2百万なので、マネジメントというキーワードに対して「96%の割合」で難しいと感じている人がいるということになる。
なぜ「マネジメント」にこれほどの困難さを感じる人がいるのだろう?
答えは「マネジメントの定義」が組織によってバラバラだからではないだろうか。
この記事の結論は、
定義の曖昧さを解決するのは認知心理学の「熟達化」という概念が役に立つという話になる。
■なぜ「マネジメント」にこれだけの困難さが生まれるのか
そもそも論になるが、「マネジメントの定義」をしっかりとアウトプットすることはできるだろうか?
定義を明らかにするには、「マネジメントを行う側」と「マネジメントを行われている側」の定義を一致させなければならない。これが難しいのではないだろうか。
つまり、マネジメントに関わるステークホルダーの意思統一が難しいということになる。言い換えると、マネジメントに関わるコミュニケーションの問題とも言える。
■熟達化とは「スキル習得のプロセスを明らかにする」こと
マネジメントの定義を明らかにするには「成果へのプロセスを定義すること」が役に立つ。
これがこの記事のテーマになる「熟達化」という事になる。
熟達化とは何か。
特徴をいくつか挙げておく。(認知心理学5 学習と発達から引用)
・人があるスキルを獲得していくプロセスにおいて、成熟していくプロセスを概念化したもの
・適切な評価基準の獲得
・知識の再表象化
・転移可能な抽象的知識の生成
・自身の「潜在する情報」を「明示可能な知識」へと変えていく
とある。
簡単に要約すると、
スキルを習得した人がいる(熟達した人)
↓
スキルを習得する条件を整理する
↓
自分の知識で留まった状態から人に教えることのできる状態にする
↓
スキル獲得の細かな要件の評価基準を作成する
これを仕事というファクターで抽象化すると、
成果の出るスキル獲得におけるプロセスを定義づける
↓
すでにスキル習得した人の知見を人に教える用にアウトプットし直す
↓
そのプロセスに適切な評価基準を定める
レイヤー毎の役割は、
【マネジメントする側】
・成果を出すスキル習得の要件の用意
・スキル習得のプロセスの用意
・適切な評価基準を設けること
【マネジメントされる側】
・必要なスキルを習得する努力をすること
・スキル習得のためにコミュニケーションを怠らないこと
理想論だが、
成果を出すプロセスをマネジメント側が明示し、その要件を適切に要件づける。
してもらう側は成果を出す要件の習得する努力を怠らないという構図だ。
■マネジメントする方もされる方も「曖昧な指導では回らなくなっている現状」がある
一番の問題は、マネジメントを「する方」も「される方」も両方が解決策が分からない状況が生まれていることが問題。それではビジネスにおける不幸な状況が生まれてしまう。
この問題は、双方の認識相違が根底にある。
レイヤー毎に問題を整理すると、
【マネジメンする側】
・成果が出る要因を適切に教えることができていない、それが現場の混乱を招く
・適切に評価する基準を持っていない、評価が主観的判断に左右されてしまう
【マネジメントされる側】
・成果の出るスキルを学び取ることができていない
・自身を適切にモニタリングする視点を持てていない
という双方の問題によって生まれている問題でもある。
解決は簡単ではないが、人が働くというファクターで幸福を追求するならば避けては通れない問題であると思う。
今後の組織におけるマネジメントが「熟達化を学ぶこと」で改善されれば幸いだ。
参考資料
上司の話がつまらないのはなぜか?その答えは「文脈干渉効果」にあった。
こんにちは。
yooです。
今日は学生時代や仕事、プライベートで当たり前に起こっていた、なぜ人の話はつまらないのかについて脳科学的見地から考察します。
ここ最近、脳科学系の書籍や論文をインプットしており、今回の内容はその中から得た知見です。
早速結論です。
人の話がつまらなくなるのは「文脈干渉効果」が働くからです。
■文脈干渉効果とは?
文脈干渉効果とは、
「何かを習得する際に、同じことを繰り返し練習すると「状況込み」で覚えてしまい、状況が変わると思い出せないという弊害が起きる恐れがある」というもの。
簡単にいうと、「人は物事を習得する時に、自分の文脈(主観的状況、主観的体験)によって覚えていて、場面が変わっても、自分の文脈でしか思い出すことができない」ということ。
もっと簡単言うと、「人は誰しも自分の文脈(コンテキスト)で物事を覚えているから人に伝える時は言い方を工夫しないと伝わらない」ということ。
上司の話や人の話がつまらないのは「自分の文脈に沿った話しかできないから何が言いたいのかわからない=つまらないになる」という事が起こり得るということ。
■よくいる自分の経験を語る人
自分の過去の経験を語る上司、皆さんの周りにもいませんか?
上司だけでなく、おそらく自分もしてしまっていると思います。
話が伝わりづらいのは自分の文脈の視点(主観的体験、主観的経験)に沿ってしか物事を伝えていないから。
的確に適切に伝えるには、自分の主観を抽象化して客観的に伝える努力が必要になる。
これは他人事ではなくみんなに当てはまる話。
自戒の意味も込めている。
■人に教える訓練が近道になる
文脈干渉効果は、シュチュエーションを何度も変えて同じことを繰り返すことで防止することができるようです。
これを簡単に実行できる方法があります。
それが「人に教えること」なんです。
人に教えることを繰り返していると、自分の文脈だけで伝えていると相手に伝わらないことを実感できます。だから自分の文脈以外でも話せるようにならないと教えることができないのです。
そうやって試行錯誤して教えている内にシュチュエーションが何度も変わり、面白い話や伝わる話ができるようになっている。
魅力的な人は一方的に話をしたりせず、自分の話している文脈が相手と一致しているか確認を入れてながらコミュニケーションを取っている人が多いと思います。
それは自分の話が文脈干渉効果を受けてつまらなくなっていないかを確認しているのだろうと推測します。
自分自身も文脈干渉効果に気を付けて、
・人に教える機会を大切にする
・多種多様な人に伝える経験を進んで行う
・自分のアイデンティティが通用しないコミュニティで話をする
などを実践したいと思います。
さいごに、
参考文献と論文のリンクを貼っておきます。
論文:運動学習における文脈干渉効果と 認知スタイルとの相互作用
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000000084/7-386.pdf
「地頭がいいはビジネスで活きるのか」への一義的解答
こんにちは。
yooです。
営業マン時代に学歴のある「売れない人」をたくさん見た。
どうすれば
「学歴があるのに、、、」
「頭はいいのに、、、」
「経験があるのに、、、」
「才能があるのに、、、」
「努力をするのに、、、」
「頑張ってるのに、、、」
がビジネスの場でなくなるのかを考えて、
「地頭をよくする」=「学び続ける人が強い」という結論に至った話。
■地頭=学歴ではない
新卒で入った一部上場の不動産会社時代、一部上場の大手証券会社には学歴が良いと言われる人がたくさんいた。
その中で、
「学歴がいい=仕事ができる」
「頭がいい=仕事ができる」
という方程式が成り立たないことがよくあった。
なぜなのか?
不思議でしょうがなかった。
もっと言えば、
「努力する=仕事ができる」
「頑張る=仕事ができる」
という方程式が成り立たないこともある。
その時は、世の中そんなもんだろうくらいにしか思っていなかった。
しかし、いま「そんなもんだろう」の正体を突き止めずにはいられない事情がある。
「そんなもの」にやられてしまう人がいるからだ。
原因もわからない奇妙な定義への解答を判明させて、一人でも多くの人の心を取り戻すことができれば本望だ。
■地頭の正体とは
地頭の定義を確認すると、
とある。
「頭がいい」「学歴がある」という意味で使われていないことが分かる。
辞書の定義を使わせていただくならば、
「地頭がいい」とは
・論理的思考力
・コミュニケーション能力
という事になる。
「論理的思考力」はイメージが付きやすいかもしれない。(細かい多義性は一旦置いておく)
一方で、「コミュニケーション能力」とは何だろう。
人によってかなり定義が曖昧になっているのではないだろうか。
私見になるが、
コミュニケーションは意思疎通のことであり、異なる個人同士が定義を持ちやすいことが曖昧な解釈を招く理由になっていると思われる。
ビジネスにおけるコミュニケーションは変化を続けるものだ。
言葉にすると陳腐だが、現実としては深い。
「ビジネスにおけるコミュニケーションという観念的なもの」を、「数学の関数のように捉える事」はそれほど簡単ではないと思うからだ。
その簡単ではないことが「地頭をよくする」ことで解決できる。
つまり「地頭がいい」とは、
「人間関係という相関関係が激しく移動を繰り返すゲーム=コミュニケーションという定義が変化する曖昧なもの」について「論理的な解決を導く手段」になり得る。
■メタ視点を持てば地頭が覚醒する
時代は変化を続けている。
それは避けることができない事実。
学校が教えてくれるもの。
会社が教えてくれるもの。
社会が教えてくれるもの。
それがいつまでも通用するとは限らない。
はたしてこのままでいいだろうか。
なぜこの状況が起き得ているのか。
そんな時は視点を変えてみる。
メタ視点が役に立つ。
(メタとは高次の、超越したという意味の言葉)
このメタ視点を持つ能力こそ
・なぜ変化するのかを論理的に考える力=論理的思考力
・変化をしている理由を着眼する感性、直感=コミュニケーション能力
になる。
「考える力」と「直感を働かすコミュニケーション能力」を覚醒させる=地頭がいいという定義。
学歴のよしあしは「地頭」には関係がない。
変化する現実から学び続ける人こそ本当に頭のいい人だ。
現実や人間関係の中で変化を直視する心の強さを持つ。なぜなのか論理的に解を持つ。それが「地頭がいい」という話。